巨人をクビになりハロワに通った田原誠次、工場勤務で見つけた“本当の幸せ"

巨人をクビになりハロワに通った田原誠次、工場勤務で見つけた“本当の幸せ"

元プロ野球選手の就職活動
 最初に頭に浮かんだのは家族のこと。僕には妻と息子、娘の家族がいます。現役時代は家族との時間が取れなかったので、半年近くは仕事もせずに家族サービスの時間にあてました。一緒に買い物に行ったり、娘の幼稚園の送り迎えをしたり、息子の学校行事に参加したり。

 それはそれで楽しかったのですが、さすがに仕事をしないと家族を養えません。でも、引退を決めた頃から僕の頭に渦巻いていた感情がありました。

――野球から離れる時間がほしい。

 まるで時間が止まったかのように、僕のなかで野球への嫌悪感が消えていませんでした。指導者の仕事を探す選択肢もありましたが、野球に対して悪い感情を抱いたまま若い人を教えることはできないと思いました。

 とりあえず、アルバイトを始めました。ワクチン接種会場の誘導係でした。「問診を受けて、次は注射になります」などと、ワクチン接種する人を案内するわけです。

 バイトを週4日こなしながら、空いた日にハローワークに通いました。朝から昼まで仕事の検索をかけて、職員の方にも相談させてもらいました。

 僕は聖心ウルスラ学園高校から社会人クラブチームの倉敷オーシャンズ(現在は企業登録)でプレーし、巨人に入団しています。これまで就職活動をした経験は一切ありません。ただ、社会人時代は三菱の工場で働いていたので、「まずは工場で働くのがいいかな?」と考えました。

 さまざまな仕事について精通し、アドバイスを下さるハローワーク職員の方には感銘を受けました。こんな人がいるから社会が回るのだなとわかりましたし、納得のいく仕事を選ぶ大切さを学べました。

 そのなかで僕が働きたいと考えたのが、給湯器を製造する工場でした。

 いざ面接を受けにいくと、面接官が履歴書の「読売巨人軍」という僕の前歴を見て「えっ?」と声を上げました。

「巨人の選手だったんですか?」

「はい、9年ほどいました」

 その後は仕事の話そっちのけで、巨人の話題が続きました。すんなりと面接をクリアし、「あぁ、プロ野球選手ってすごい職業だったんだな」と実感しました。
https://bunshun.jp/articles/-/62367

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